娘と息子は、性格がまったく違います。
娘は、人の影にそっと隠れるようなタイプ。
一方で息子は、思い立ったらすぐに前へ出ていく、とても積極的なタイプです。
同じ家庭で、同じように育ててきたつもりでも、子どもはそれぞれまったく違う個性をもって育っていきます。
だからこそ私は、「こうしなさい」「ああしなさい」と無理に型にはめることは、あまりしませんでした。
そんな中で、今振り返ってもとても印象に残っているのが、幼稚園でのたくさんの経験です。
本物に触れさせてくれた幼稚園
子どもたちが通っていた幼稚園は、「本物の体験」をとても大切にしている幼稚園でした。
園が所有している農園があり、季節ごとにさまざまな収穫を体験させてくれました。
野菜を植え、育て、収穫する。
その一つひとつが、ただのイベントではなく、日常の延長にありました。
中でも驚いたのは、稲刈りや脱穀機まで実際に使わせてくれたことです。
危ないからと遠ざけるのではなく、
「どう使えば安全か」
「何に気をつければいいか」
を、大人がそばで伝えながら体験させてくれる。
お泊まり保育では、包丁を使ってカレー作りもしました。
子どもたちは真剣な表情で、にんじんやじゃがいもを切っていたそうです。
幼稚園生活の中でも、先生方はいつも
「子どもがやろうとしていること」
を尊重してくれていました。
工作だらけで帰ってくる息子
特に息子は、工作が大好きな子でした。
毎日のように、段ボールや紙、テープを使って何かを作り、それを自分の体に装備して帰ってきます。
剣のようなもの。
盾のようなもの。
時には、全身が“武器だらけ”の日もありました。
私は、そんな息子の姿を見るのが楽しみで仕方ありませんでした。
今日は何を作ったのかな?と毎日楽しみにしながら幼稚園の帰りを待っていました。
ただ、工作はどんどん増えていきます。
置き場所にも困るようになり、息子に気づかれないように少しずつ、前に作ったものから処分したりもしていました。
(今思えば、ちょっと胸が痛む思い出です)
与えすぎなかったからこそ生まれたもの
子どもたちには、すぐにゲーム機を買ってあげることはしませんでした。
「買わない」と決めていたわけではありませんが、急ぐ必要はないと思っていました。
するとあるとき、
娘も息子も、箱を使って自分たちでゲーム機を作り始めたのです。
空き箱を組み立てて作られたゲーム機。
ボタンもマジックで書かれていて、画面部分には変わることのない自分のお気に入りのゲームの画面を描いていて・・・。
その姿が、私はとても愛おしく感じました。
「足りない」ことは、必ずしも悪いことではない。
むしろ、考える力や創り出す力を育ててくれるのだと、改めて感じた瞬間でした。
祖母から受け取った「本物」
私の母は、小学校の教師でした。
実家に遊びに行くと、いつも「本物」に触れさせてくれました。
・子ども用のはさみではなく、大人が使うはさみ
・中身の入ったジュースの缶を積み上げて遊ぶこと
今思えば、少しヒヤッとする場面もあったかもしれません。
でも母は、ただ放り出すのではなく、
「どう持つか」
「どこに気をつけるか」
を、静かに子どもたちに伝えてくれていました。
経験はあとから価値がわかる
当時は、特別なことだとは思っていませんでした。
でも、今たくさんの子どもたちと接する機会があることで、
「あの時の経験は、とても大切だったのだな」と感じるようになりました。
本物に触れること。
実際にやってみること。
失敗しそうになりながら、学ぶこと。
それらは、子どもの中に、目には見えないけれど、確かな土台を作ってくれていたのだと思います。

